白棚鉄道4 (切り通し〜金沢内駅跡) 2005.03/2012.02 [TOP] [寄り道] [廃線Web]
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05 | 三森駅跡〜高木バス停 | ● | 10 | 古関駅跡〜関辺バス停 |
<金沢内の切り通し>
左カーブを抜けると短い直線があり、その奥に右カーブが見えてくる。
左路肩のガードレールの損傷が激しい。
大型車がずり落ちたような痕跡があった。
まさかバスじゃあるまいな・・・。
ずーっと奥まで続いて行く築堤。
廃線跡探索の醍醐味である。
ここを蒸気機関車が走っていたわけだ。
路肩にベンチが設置されていた。
バスが走らなくなってからも、勝手に一般車が通行していたが、
今ではクルマが入れないよう物理的措置が成されたため、
このような設備が可能となったのであろう。
遊歩道として活用してゆく計画なのだろうか。
「急行白河行き」とのことで、バスが3台連なって走っている。
撮影年が不明だが、既にしっかりしたガードレールが設置されている。
近年木製ベンチが設置されたのは、中央に写る待避所跡であろう。
「白棚高速線開業50周年」より転載 2013.01追加
元々単線の狭い線路跡なのに、さらに両側をガードレールで挟まれてしまって、
さぞやバスの運転手は圧迫感を感じたであろう。
奥に見える交差点手前に土盛りをしてクルマの通行を遮断してある。
しかし、左側に見える側道からは今でも進入できるようになっていた。
もちろん一般車は禁止だ。
雪の中を棚倉方面へ向かうバスが走っている。
奥の交差点には多数の標識があったようだ。
「白棚高速線開業50周年」より転載 2013.01追加
手前の交差点には踏切りがあったものと思われる。
両側には「一時停止」に標識があった。
切り通し入り口はガードレールで封鎖されていた。
ここからは余りクルマが通らないのか、かなり荒れている。
法面は両側共に石垣で補強されている。
これも鉄道遺構だと思われる。
谷が最も深くなる箇所では石垣が二段になっていた。
倒木の枝が切り払われ、なんとか通行できるようになっているが、
それでも最低限の管理であり、クルマでの通行は諦めざるを得ないほど狭かった。
崩壊している箇所も見られた。
十分通れるが、通ってはいけない道。
中途半端な立場の微妙な廃道である。
2005年3月 | 2012年4月 | |
切り通しの内部は倒木や雑草に覆われることもなく、土砂で埋もれることもなく、大きな変化はなかった。 | ||
真っ直ぐに抜けている道の奥から国道の喧騒が聞こえてきた。
金沢内集落の東端に出る。
この集落に磐城棚倉駅を出て最初の駅があった。
「車両進入禁止」下の補助標識には「バス・許可車を除く」とある。
許可車とは田畑に向かうクルマだろうか。
倒木を切っていたのはそのクルマの主かも。
切り通しの反対側にこの標識はなかった。
標識の赤は色褪せ、補助標識の文字も読み取れなくなっていた。
こちら側にもガードレールが設置され、完全に封鎖されていた。
手前を横切るのは旧国道289号で、奥に見えるのが現国道である。
線路は旧国道を横断したあと左にカーブしていたが、
そこから先は現国道に上書きされてしまっている。
[2012.02]追記
なお、バスは最近まで旧国道を運行しており、
その時のバス停位置も黄丸で図示しておいた。
新旧国道に挟まれた部分に、低い築堤の痕跡がひっそりと残っていた。
よく考えてみたら線路跡が線路跡らしい状態で残ってるのはここだけ、
ということに気付き、今回は念入りに撮影した。
この奥で線路跡は切断されている。
ここは舗装もされてないことから、
バス専用道として転用されなかった区間ではないかと考えている。
とすると、道床としては唯一の鉄道遺構ということになるわけだ。
後に軌道跡が国道化されてバスが通るようになっても、ここだけは残ったのではないか。
<金沢内駅跡> かなさわうち
棚倉から3.7kmで次の金沢内駅に達する。
大正5年10月の開業時はここが終点で、棚倉まで開通したのは翌月だった。
駅付近の線路跡は国道化され、現在駅跡はバス停となっている。
拡幅され国道と化した線路跡を進むと、すぐに金沢内バス停に着く。
ここは金沢内駅があった所で、現在も大きな駐輪場と待合室がある。
裏の赤い屋根は金沢内集会所、その隣には小さな公園。
これらはかつて駅前広場だったのではなかろうか。