白棚鉄道3 小菅生橋梁    2005.03/2012.02/2012.05        [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

  01  磐城棚倉駅跡 06  梁森駅跡磐城金山駅跡
  02  旧桧木バス停 07  黄金川橋梁〜幼稚園前バス停
  03  小菅生橋梁 08  坂下川橋梁〜番沢駅跡
  04  切り通し〜金沢内駅跡 09  社川橋梁〜古関橋梁
  05  三森駅跡〜高木バス停 10  古関駅跡〜関辺バス停

 <小菅生橋梁>

 軌道は水田地帯から山間部へ入って行く。

 そして地図上で見つけて以来注目していたS字カーブへと突入して行く。

 その先は切り通しになっているようだ。

 これも楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山間部に入った軌道跡を振り返る。

奥が磐城棚倉駅方面である。

水田よりもだいぶ高い位置を通ってる。

 

 

 

 

 

S字カーブのうち、最初の左カーブが見えてきた。

カーブの入り口に古い速度制限標識が残っている。

45km/hというのはバスがカーブに突っ込む速度としてはかなり速いのではなかろうか。

さすが高速バス専用道だ。

 

 

 

その標識の裏側を見て驚いた。

速度制限解除」とあったのだ。

S字カーブを抜けた後の直線を、バスはどの程度まで加速したのであろうか。

アクセルべた踏みか?

さすが高速バス専用道だ。

 

 

 

  この標識に関して、相互リンク「dark的道部屋」管理人のdark-RXさんより情報を頂いた。
  「この2つの標識はどちらも昭和35年に廃止された指導標識というもので、かの白看よりもずっと貴重なもの」
  とのこと。 どうやら「福島県で見られるのはここだけ」と言うくらい希少なものらしい。

 

藪に覆われていて判別しにくいが、法面は石垣であった。

鉄道時代の遺構である可能性が高い。

 

 

 

 

 

 

上図の奥に見えるガードレールから見下ろすと小川が流れていた。

築堤の下を貫通しているようなので、「もしや」と思って下りてみることにした。

かなりの急斜面なので注意して下りる。

 

 

 

 

 

 

 

 

斜面を下りながら覗き込むと。

おおーッ!

レンガだ! 石積みだ!

 

 

 

 

 

全容が現れた。

なんとも立派な橋だ。

しかも石積み、レンガ巻きのアーチ橋だった。

白棚鉄道の遺構と考えて間違いなかろう。

こんなものが残っていたとは全く知らなかった。

仮に「小菅生橋梁」と命名しておく。

 

 

小菅生橋梁・東坑門。

大正5年(1916)の開業だから、約100年前の鉄道遺構である。

坑門の一部が崩れているのが心配だ。

これは当然西側坑門も見たくなる。

 

 

 

 

一度、築堤上に戻る。

巨大な築堤が奥へと続いている。

この左下に西側坑門がある。

 

 

 

 

 

上図の区間を逆方向から写した写真があったので転載する。

「開業当時の様子」とのことで、待避所にバスが止まっている。

側溝が写っているが記憶にはない。

現状のようなガードレールではなく、杭が並んでいるだけのように見える。

奥に見える鉄塔は何だろうか?

対向してくるバスの接近を知らせる警報機か何かだろうか?

「白棚高速線開業50周年」より転載   2013.01追加

 

枝に遮られ視界が得られないが、西坑門も同じデザインであった。

築堤を斜めに貫いているため左右非対称になったのだろう。

 

足場が悪いため、画像がやや傾いてしまった。

 

 

(2010年「福島県近代化遺産」に「メガネ橋」として登録された)

 

西坑門付近から築堤を見上げる。

見上げる・・・そう、まさに見上げるような高い築堤なのだ。

比高5〜6mはあるだろうか。

当時としてはかなり大規模な工事であったに違いない。

 

 

 

 

またまた線路跡に戻って築堤上を進むと、S字の中間地点に入る。

しばらく見通しの悪い区間が続く。

 

 

 

 

 


  震災後の状況が気になり、7年ぶりに訪問してみた。 (2012.05加筆)
     
  2005年3月 2012年4月
 
  レンガ巻きの石アーチ橋は目立った破損もなく、無事であった。
   
 
  しかし、ガードレールが倒れていた。
  非常に珍しい角パイプのガードレールは昭和30年代のものとのこと。
  車道化工事の際に設置された当時ものが今でもそのまま使われているのだろう。
     
   
  ガードレールが倒れた原因は上流側で発生した土砂崩れであった。
  西坑門の様子も見たかったが、倒木に覆われていて確認ができなかった。
  震災の爪あとだ。  
  奥では重機が入って水路を補修していた。

 

   ←前へもどる      次へ進む→

      [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]