白棚鉄道6 梁森駅跡〜磐城金山駅跡    2005.03/2012.02        [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

  01  磐城棚倉駅跡 06  梁森駅跡磐城金山駅跡
  02  旧桧木バス停 07  黄金川橋梁〜幼稚園前バス停
  03  小菅生橋梁 08  坂下川橋梁〜番沢駅跡
  04  切り通し〜金沢内駅跡 09  社川橋梁〜古関橋梁
  05  三森駅跡〜高木バス停 10  古関駅跡〜関辺バス停

  <梁森駅跡> やなもり

 開業から半年遅れた大正6年(1917)4月に開設された。

 支線とのジャンクションや貨物駅としての性格が強かったと思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高木からバス専用道となった線路跡を西へ1km程進んだ所に梁森駅があった。

バス停は駅跡に設置されており、高木バス停と同様待合室は両側にある。

 

 

 

 

 

  [2007.10] 追記
  この付近が広くなっているのは、ここから支線が分岐していたのが理由かもしれない。
  梁森駅から南へ1.6kmほどの支線があり、炭鉱から産出される石炭を運んでいたと言う。
  この支線は大正7年()に炭鉱会社に売却され、専用線になった。

 白棚鉄道・梁森支線のレポートは→こちら

バス停付近は広くなっているが、

その前後は単線鉄道の遺構らしく一車線しかない。

 

 

 

 

 

 

北側の待合室は珍しくコンクリート製であった。

窓ガラスもなく、屋根もボロボロである。

とても「現役」とは言えないような姿をしている。

 

 

 

[2007.10]撮影 [2012.02]追加

 

梁森駅跡の西側の様子。

低い築堤がずっと奥まで続いている。

ここに用水路のような細い川が流れていたので、念のために覗いてみる。

 

 

 

 

 

まさかと思ったが、切り石積みの橋台があった。

橋桁こそコンクリ製に架け替えられているが、

橋台は白棚鉄道のものを改修してそのまま使用しているようだ。

仮に「梁森橋梁」と命名する。

 

ガーダーは戦時中に供出され、

車道化改修の際に橋台上部を嵩上げしてコンクリ桁を載せたのだろうか。

 

石製橋台の耐久性には驚かされる。

今でも非常に整然とした状態を保っている。

周囲の石垣も当時のものであろう。

 

 

 

 

 

梁森バス停をスルーして走り去るバス。

専用道ということで、この狭い道をけっこうな速度で走る。

「警笛鳴らせ」もスルーされた模様。

近隣住人から「うるさい!」と苦情でも来たのだろうか。

 

真っ直ぐな築堤が美しい。

 

 

民家を左右に見ながら築堤を進むと、やがて短い掘割り状の道に変わる。

奥にR298の青看が見える。

 

 

 

 

 

掘割りを抜けると表郷村役場の前に出る。(現在は合併したため白河市役所表郷庁舎)

この付近は大規模に改変されたため、鉄道跡らしさは微塵もない。

 

 

 

 

 

 

ここから先も線路跡がバス専用道として使用されていたのだが、

現在は拡幅されて国道バイパスとなっている。

 

 

 

 

 

 


 

 <金山町駅→磐城金山駅跡> いわきかねやま

 開業時からある駅。 始終点を除けば最大の駅で、鉄筋コンクリート製の駅舎があり、駅員も配置されていた。

 梁森駅を出た線路跡の専用道は旧表郷役場の前からは国道に取り込まれており、そのまま金山駅まで進む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

拡幅された国道を進むと磐城金山バス停が見えてくる。

大変広い敷地に待合室、トイレ、ジュースの自販機が設置、という充実ぶりである。

観光案内の絵地図まである。

旧表郷村の中心地なのだ。

 

 

2012.04

 

この広い敷地こそが磐城金山駅跡である。

駅舎は国道のバイパス化に伴う拡幅工事の際に撤去されてしまい、現存しない。

 

 

 

 

2012.04

 

駅前通りと旧国道が接するところに有名な老舗おでん屋「安幸」がある。

・・・のはずなのだが、すでに「跡地」になっていた。

ついに震災で倒壊したのか! と驚いたが、近所の方のお話によると建て替え中とのこと。

以前から建て替えを予定していたのだが、去年の震災により雨漏りが酷くなり、

ついに決断したらしい。

今年の秋前には営業が再開されるとのことだった。

2012.04

 

   ←前へもどる      次へ進む→

      [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]